いつかきっと、目を覚ますその時までは

世界に対して、小説、映画、音楽について、できるだけ正直に語りたいことを語ろうと思います

ブログを移転します

突然のご報告となってしまい申し訳ありません。

当ブログを http://tokiha-music.com に移転します。

こちらは僕の音楽名義でのポータルサイトなのですが、SEO対策の一環として、また、当ブログの運営者の情報と紐づける目的で、統合、という形でひとつのサイトにまとめることにしました。

また、僕のwebデザインのポートフォリオサイトである http://tokiha-portfolio.com も http://tokiha-music.com に移設し、ポータルサイトとして近いうちにまとめる予定です。

ブックマークに登録していた方はURLが変わってしまうのでお手数ですが再登録のほどよろしくお願いします。

また、こちらのサイトでも以前通りSNS連携は設置しているので活用してください。

以前通り、ほぼ日で更新していくので、引き続きよろしくお願いいたします。

2020年超個人的予想①進撃の巨人完結によるエゴイズムの終焉

あけましておめでとうございます。いよいよ今年からフリーです。今月中に開業届出さなきゃ。お仕事のほう、ありましたらサイトにお問い合わせフォームがあるのでお気軽にどうぞ。先月は250くらいアクセスがありまして。主にイオンの記事だったんですけど。Twitterのほうでコメントくれた方々、ありがとうございました。けっこう、「こういう本音で語ってくれる人がいると非常にありがたいです!」っていう肯定的な意見が多くて、ちょっとびっくりしました。もっと非難されるかもって思ってたんでね。このブログは僕の思考のはけ口というか、思ったことを正直に言う、をモットーにしてるので、そこをほめていただいたのは本当にうれしかったです。今年もそんな感じでわりとソリッドにやっていきますよ。本年もよろしくお願いいたします。

と、いうわけで、2020年になりました。ついに10年代が終焉を迎え、新たなディケイドを迎えました。19年は本当に音楽の面で前進が見られたというか、革新の年になりましたね。それがどう波及していくのか、楽しみです。

今回はその2020年がいったいどんな年になるのか、超個人的予想をしたいと思います。

 

進撃の巨人が完結する

これは大きいです。2009年から連載されてきて、アニメで一躍国民的作品となったこの作品。結果的に10年代を代表する作品になったと思います。(10年代カルチャーの話はあとでまたします)

それがもう完結するっぽい。というか、NHKで今年の10月からファイナルシーズンと銘打ったシリーズが展開される予定なので、その前後には完結してないとまずいし、連載ももうほとんど終盤です。作者もそろそろ終わると思っていますし、年内には終わるんじゃないでしょうか?アニメのシリーズ構成なんかも考えるとネームはもうあるのかもしれません。さて、それがどういうことなのか?

進撃の巨人はとにかく残酷で非情な世界観で、とにかく人が死ぬ。そしてそれを売りにしてきた側面がありました。10年代にはこういう刺激的でエゴイスティックな表現が必要とされたのです。なぜなら、自我の発露にこそ自由がある、という思い込みがあったから。これは実は00年代カルチャーにもみられたことで、「ひぐらしのなく頃に」の延長線上に進撃の巨人はあると言えます。

しかし、少し前から、進撃の巨人には「不戦の契り」というものが大きなテーゼとして掲げられます。ネタバレになるので詳細は省きますが、要するに壁にこもってれば誰とも戦わなくて済むじゃないか、ということです。しかし、こういう考えに対してエレンは常に懐疑的な目線を向けていました。壁の檻にとらわれていることを「不自由」だとし、巨人のいる壁の外に出ようとします。しかし、その戦いは死んだほうがましだと思えるほどに過酷で、犠牲が常に等価交換の世界でした。そんなゼロサムゲームの中で、彼は結果的に闘争を望みます。完全なる自由を手にしたいと願う。しかし、そこに疑問を挟むのがアルミンです。人はわかりあえる、必ず。敵対するのではなく、対話するべきだ。壁にこもるのでもなく外に出て、交渉をするべきだ。今のところ劇中ではこの二つの間で揺れ動いていると思います。その結果がおそらく今年には出る。

そしてここからは予測ですが、おそらく融和に向かうでしょう。対話を選ぶでしょう。東京喰種がそうだったように、あるいは蒼穹のファフナーがそうであったように。

そしてそれこそが、10年代のエゴイズム的闘争を抑止し、世界を融和に導くと思っています。別に、これ冗談で言ってるわけじゃないです。常に文化史は社会を動かす存在でした。事実、00年代カルチャーが10年代カルチャーの攻撃的部分を推し進めたのです。たかが漫画が、というかもしれませんが、多くの読者は10代だと思いますし、そういう若い世代に多大な影響を与えてしまうのです、漫画やアニメは。エヴァがそうだったように。

そして、漫画の傾向ががらりと変わります。もうすでにTwitter漫画などでは顕著なのですが、残酷な描写がある作品、基本的に暗い感情を背負った作品というのは売れなくなってくるでしょう。物語が大きく変動しない、緩やかな日常を描いた、それこそ「けいおん!」のような4コマ漫画がどんどん増えていくと思います。

これは10年代カルチャーに疲れ果てた反動です。実際、そうしたTwitter漫画の売り上げは目を見張るものがありますし、新人漫画家の登竜門としても機能しています。今の時代、社会に疲れた人たちが求めるのは癒しです。わざわざ暇なときに疲れる物語を摂取しようとは思わない。

20年代カルチャーは基本的に10年代カルチャーの揺り戻しが来て、すべてがゆったりとしたものが好まれるようになると予測しています。音楽でも同じで、今はトラップという重低音重視の音楽が人気ですが、最近はチルポップなどの音数が少なく、リズムもゆったりなリラックスできるトラックの伸びが大きいです。いずれはまたヒーリングミュージックが復興すると思います。

もうみんな豪雨とかブラック企業とか地球温暖化とか安倍政権とかトランプ政権とかEU離脱問題とかで疲れ切ってるんです。だから、基本的に文化史的には穏やかな10年になると思っています。

長くなったので今日はここまで。明日に続きます。

 

2019年総括

今年はチャレンジの一年になった。今までsound cloudにしかあげてなかった音源をシングルリリース、youtubeへの投稿。どれも不発に終わったのはショックだったが、はじめはこんなもんだと誰もが言う。やはり続けて曲を作り続けることが大切だ、と。

しかし、僕は「disabled novel」と「WOR(L)DS」には絶対の自信を持っていた。しかし、これはボーカルレッスンをお試しで受けに行ったとき、先生に言われたことなのだが、「ボーカルが単調」「アレンジに変化がない」など非難囂々だった。普通の人が聞くとそうなのだ。しかし、僕はこの曲は近年の洋楽にみられる、トラップやビリー・アイリッシュなどの曲のようなベース重視の楽曲の影響を受けて作ったのであって、正直、聴いてほしいのはボーカルではなくてベースだけだし、なんならボーカルはおまけ程度に作曲しているときは思っていた。だから、その考え方が間違っていたのだ。普通の人はトラップなんて知らないし、秋田の人ならなおさら。そもそも一番に人が聞くのはやはりボーカルなのだ。ボーカルがおまけなら、インストでも作ってりゃいい。でもそうじゃない、やっぱり人に受ける者が作りたいからミクをやめて人に歌ってもらったのだ。だったら、やはりちゃんとボーカル重視、メロディ重視のものをつくらなければならない。もしかしたら、東京の人が聞いたら、ビリー・アイリッシュが好きな人が聞いたら違った意見が出てくるかもしれない。だけど、ここは秋田で、ある程度迎合しなければ目も向けてくれない。売れ線の曲をつくるように迎合するのは釈然としない。しかし、結局、売れなければ意味がないし、食べていけない。だから、もう、今後、このような曲は作らない。バンドアレンジ、ストリングスアレンジ、ブラスアレンジと生音主体のアレンジにしていき、ボーカルのメロディも練ってねって練りまくる。

来年こそはヒットを出す。

それから、来年1月からのフリーランスへの転向、これも大きい。

僕は常に自己犠牲的な優しさを追求しているところがあった。優しくなりたいなら自分を犠牲にするしかない。これは相当ゆがんだ思考だ。しかし、今年になるまで気づかなかった。だから、自分のやりたいことよりも他人がやってほしいと思っていることを優先した。結果何が出来上がったか。ただただ空虚な自分だった。自己犠牲的な優しさは誰も救わない。周りの人を不幸にするだけだし、自分も幸せになれないし、誰かに利用されるだけだ。だったら、もう、自分の好きなことをやるしかないじゃないか。だから、フリーランスへの決意ができた。今まで見捨ててきた、殺してきた自分とちゃんと向き合う、それが、これからの決意だ。

僕はもう、何度も周りの人に言っているが、音楽で食っていきたいと思っている。正直、この年齢でデビューは難しいと思う。だけど、プロデュースなら道はあるし、僕がなりたいのはあくまで作曲家なので、アーティストにならなくてもいい。僕が本当にやりたいのは作曲家と小説家だ。

正直、わかっているが、僕は音楽の才能は皆無で文章を書く才能のほうがある。だったら一念発起して長編小説を書けばいいじゃないか、と思うかもしれないが、長編を書くのはどう見積もったって一年はかかる。そしてそれで賞が取れなければ意味がない。正直、今そんなことに時間を割いてる余裕はない。なぜなら、音楽には賞味期限があるからだ。アーティストは30歳で円熟期を迎え、その後は停滞するだけだ、と言われる。そして刻々とその30のラインは迫ってきてる。小説はいくつになってもかける。それこそ、森博嗣なんか40歳でデビューしてるし、純文学系はもっと遅かったりする。だったら、今時間をかけるべきは音楽だろう、と。足りない才能を努力で埋めなければならない。

また、webデザイナーとしても活動していくわけだが、これは明確なきっかけがあって、ある人に自分のサイトを見せたら、こんなことができるんだったら本職でもやっていけるんじゃない?と言われたのだ。正直、青天の霹靂だった。このくらいのレベルでもいいのか、みたいな。僕は完全に独学でやってきたし、知識はあるが、本職の人とのつながりがなかったので、そのへんのことがわからなかった。

僕はずっと在宅で仕事がしたいと思っていた。ざわざわした環境にいると神経をすり減らしてしまうのだ。それでぐったりして帰ってくる。おそらくHSP(神経が過敏な人の総称)なのだと思う。だから、家でゆっくり仕事がしたいと常々思っていた。

そんなときだったので、もしかしたらフリーランスでもやっていけるんじゃないか、と思いついたのだ。

正直、僕はコネクションが薄い。福祉関連で多少つながりはあるが、斡旋してくれるかどうかはわからない。

しかし、案外と秋田のサイトはつくったけれど更新されていない、という状況が多いらしい。この前もそういう相談を受けた。だったらそれはビジネスチャンスだろうと。秋田というのはスキマだらけで、そこに入り込む余地はある。起業するなら秋田ほどやりやすい土地はないと思う。

不安はないでもないが、正直、来年の収入は少なくてもいい。徐々に増やせていけばいいと思っている。

今年は決意の年だった。来年は実行の年だ。しっかりと実りある一年にしたい。

映画評論-「スワロウテイル」

映画評論を書くにあたって心に決めていることが二つある。一つはネタバレしないこと。もうひとつは記事を読んだ人がその映画を見たいと思ってくれるような記事を書くこと。

さて、今回取り上げるのは知っている人も多いだろう、岩井俊二監督の大ヒット作「スワロウテイル」だ。Charaのデビュー作であり、劇中に出てくる「YEN TOWN  BAND」は実際にデビューしており、これがきっかけとなり、Charaはソロデビューも果たすことになる。

この映画は高度経済成長期の日本にやってきた不法移民の中国人やアメリカ人が住んでいる「YEN TOWN」というスラム街が舞台だ。当時、日本円の価値は非常に高く、円を中国に持って帰るとレート換算で大金持ちになれるので貧民層が夢を描いて日本にやってきた。しかし、そんなに話は簡単ではなく、女は娼婦に、男は盗みを働いてまともな生活ができないままYEN TOWNに住むことになる。また、YEN TOWNには円を盗むという意味もあり、日本人からあいつらはYEN TOWNだ、と揶揄される。

主人公は娼婦を母に持ち、名前もない、一人の少女。母が急死し、誰も引き取り手がいないところにChara演じるグリコに引き取られるようになる。その後、YEN TOWNの仲間とともに、あることがきっかけで大金を不正に手にしてしまう。

そのお金を元手に彼らはライブハウスをつくる。そこで結成されるのがYEN TOWN BANDだ。一躍、グリコはスターとなり、レコードは売り切れ続出の大ヒットとなる。しかし、YEN TOWN BANDの仲間が不法移民だとわかるや否や警察に逮捕されたり、不正にお金を手にしたがためにヤクザに命を狙われる羽目になり…。

この映画を見始めた当初はあまりに暗いシーンが多く、中盤で成功を手にするが、もしかしたらみんな死んでしまうかも…なんてひやひやしながら見ていた。たしかに見ようによってはこの終わり方は報われない。しかし、彼らは一様に成功を夢見て、YENを得ることだけに執着してきた。しかし、最後に彼らはYENに執着することをやめ、呪縛から解放されるのである。身に余る成功も捨て、自らの身の丈に合う生活をするようになる。結局、もとの黙阿弥なのだが、彼らにとってはそれは大きな前進であったはずだ。

最後のシーンのなんとすがすがしいことか。この映画はスカッとしたいときにぜひ見てほしい。中盤まではヒヤヒヤするが、最後を見てそれを吹き飛ばすくらいの快感があるはずだ。

これはいわゆる不良映画とみることもできるだろう。法に触れることばかりやっている。だけど、彼らには彼らなりに目指すべきところがあり、手にしたいものがあったのだ。必死に生きていた。だから、彼らが法に触れることをしていたとしても、受け入れられる。そこには彼らの生き方や正義があるからだ。とても清いと思えるのだ。

また、やはり岩井俊二の映像マジックには驚くものがある。こんな映像をとれるのは彼しかいない。とにかくワンシーンどこを切り取っても絵画のように美しいのである。また、小林武史の音楽が美しく映像を盛り上げることにより、映像的快楽は極限まで高まる。

とにかくストーリーから映像表現から音楽まで、すべてが完璧なのだ。邦画でこの完成度は目を見張る。一大傑作だ。

黒人は音楽で世界を変える-ヒップホップ編

はじめに言っておきたいが、実はあまりヒップホップには詳しくない。しかし、どうしても黒人の音楽について書くに寄せて、ヒップホップは外せなかった。

ヒップホップの歴史は90年代からはじまり、当時はギャングスタ・ラップと呼ばれ、不良の音楽として親しまれた。一番有名なのはドクター・ドレーで現在はAppleと提携を結んでいるヘッドホンの会社、Beatsの社長だ。

しかし、このころはまだヒップホップはアンダーグラウンドだった。それがメジャーになるのはあの事件、そう、黒人射殺事件の後だった。

一人の黒人の少年が、何の罪もなく白人の警官に射殺されたのだ。そう、ブルース、ジャズをもってしても黒人の地位はいまだに低いままだった。

この事件を真っ先に音楽で批判を繰り広げたのが、ケンドリック・ラマーだった。そして、彼のアルバムはグラミー賞に輝き、そこから黒人のヒップホップによる音楽運動が活性化していく。すべては仲間を殺された怒りのため。それをヒップホップで爆発させた。

ラップというのは便利なものだ。だって、歌詞に文字数制限はない。ループの中で納まるようにリリックを押し込めばいい。そして、ケンドリック以降のヒップホップのサウンドは徹底してダークなものになっていく。ここにもうトラップの萌芽が芽生えていたと言える。

その後、ドレイクとポスト・マローンがヒップホップをさらに進化させる。トラップの誕生だ。彼らはテクを必要としない、より生活に密着した、簡素なラップを志向した。しかし、サウンドはダークそのもので、サブベースはズーン、ズーンと鳴り響く、重低音重視のダークな世界観を確立させた。そして、彼らがヒップホップをメジャーな音楽へと導く。

現在のサブスクのトップ10を見ると、だいたいドレイクとポスト・マローンとエド・シーランは年中、毎日ランクインしている状態だ。エドだけポップなのだが、あとは9割トラップだ。

トラップの後継者は増えるばかりで、彼らをまねしたサウンドがあふれている。それほどに彼らは言いたいこと、主張したいことであふれているのだ。

しかし、おもしろいことに、ポスト・マローンは白人だし、最近は黒人、白人、アジア人、関係なくトラップをやるし、みんな主張することは同じ、移民排斥運動にノーを、人種差別にノーを、だ。ここにいたって黒人も白人も音楽では関係なくなり、同じ同志として政治に立ち向かっている。

黒人たちの怒りが、アンダーグラウンドをメジャーにし、そして今、世界を変えようとしている。

僕は黒人が大好きだ。特に映画に出てくる黒人のキャラはだいたい好きになってしまう。彼らの存在感は独特だ。白人の主人公にそっと寄り添い、彼が悩んだ時には諭すように優しく、道を示してくれる。そしていつも陽気だ。笑顔を見てるだけでポカポカする。しかし、彼らが笑えるのはいままで厳しい歴史を経験してきたからこそだと思う。いつも怒りや不平等を抱えているからこそ、普段は笑おうと努めるのだ。できるだけ笑って、忘れようと努めるのだ。その生き方の美しさ。健気さ。砂漠に咲いた一輪の花のようだ。

彼らの力が僕たちにはまだまだ必要だ。トランプ政権を打倒しなければならない。地球温暖化をとめなければならない。そのとき必要になるのは、技術でも、思想でもなく、彼らのような美しく、たくましい、生き方である。この混迷の時代を照らす一条の光となるだろう。

黒人は音楽で世界を変える-ジャズ編

ジャズは魂の音楽だと言われる。これはあながち誇張ではない。

終戦後の40年代、ビバップと呼ばれるジャズが生み出される。生み出したのは伝説のサックス奏者チャーリー・パーカーとトランペット奏者ディジー・ガレスビー。彼らの音楽の特徴はとにかくテンポが速いこと。そして超高速で織りなされるソロの熱演だ。戦前にもジャズは存在したし、フランク・シナトラは戦前からトップ歌手だったが、そのころのジャズはいわゆるビッグバンドジャズで今の吹奏楽をジャズにした感じだ。オーケストラ並みの楽団を率いて演奏するのが主だった。しかし、ビバップはトリオやカルテット編成、ピアノ、ドラム、ベース、ホーンというジャズバーで簡単に演奏できるような小規模の編成へと変わっていった。ちなみに、このビバップ、簡単には受け入れられなくて、戦争から帰ってきた白人がビバップを聴いて、「なんだこの音楽は!こんなのチャイニーズミュージックだ!」と言ったそうだ(笑)。中国に失礼だろ。

基本的にビバップまでは白人の西洋音楽理論を使っていた。しかし、これが黒人には気に食わなかった。ジャズとは黒人の音楽である。そこに白人の理論が使われているのは納得がいかない、と。

そして、一人の天才、マイルス・デイヴィスが「モーダル・ジャズ」を成立させる。

理論的な背景は省くが、簡単に言うと、どこで転調してもいい音楽、というのがモーダルだ。西洋音楽だと基本的にキーは固定で、転調するときには合図がいるし、部分的に一小節だけ転調する場合もある。しかし、そもそもモーダルにはキーという概念がない。いつ、どういうコードが来てもいい。実際、60年代後期になると一小節おきに転調するというはめをはずした曲も出てくる。

西洋音楽理論は徹底的に理論的構築を目指しており、自分たちに説明できないことはない。理論ですべて音楽の感動を作り上げることができる、という考えだった。しかし、これは究極を言えば、理論の檻にとらわれるということであり、そのため、クラシックは理論を使いつぶしてしまって崩壊した。キーに束縛される音楽を「コーダル」と呼ぶ。

対して、「モーダル」はいうなればどんな可能性もはらんでいる。コーダルが惑星なら、モーダルは大宇宙だ。マイルスはコーダルの外側に広がる大宇宙を発見したのである。

こうして、黒人は真にオリジナルな自分たちだけのジャズを作り上げた。

実は、ジャズは黒人の民権運動の一つでもあった。

マイルスは50年代、ジャズ界のスターだった。しかし、こんな事件があった。ジャズバーの前でファンの女の子に声を掛けられ、しばらく話した後、彼女のためにタクシーをとめてあげた。それだけなのに白人の警官がすっ飛んできて、彼をその場で逮捕し、留置所に入れてしまったのである。それくらい、当時の黒人の人権は今よりも低かった。

しかし、黒人は音楽でその逆境に挑んだのである。近年、様々なデモが起こっているが黒人がそこに混ざっているのはあまり見たことがない。今だったら黒人はマイクをもって、ラップで政治主張を繰り広げるからだ。黒人とはどこまでいっても音楽の民族なのである。音楽で戦い、音楽でのし上がる。

事実、ジャズによって黒人のテクニックの素晴らしさやクレバーさは認知され、その評価はどんどん上がっていくことになる。

白人やわたしたち黄色人種にこれができるだろうか?たぶんできない。彼らは常に怒りを抱えている。白人に故郷を奪われた怒りを。そしてその怒りを音楽で爆発させる。

その魂の叫びがジャズなのだ。

ジャズ好きに大人が多いのは、その熱量を理解するまでに時間がかかるからだ。ジャズの魂に共鳴できるようになるまでには時間がかかる。僕もジャズを聴き始めたのはここ数年だ。僕はジャズの中でもマイルスやジョン・コルトレーンみたいな真っ黒な音楽が好きだ。黒人の黒人たるゆえんがぎっしり詰まった音楽が好きだ。それは他では決して味わえない興奮だから。そして、やけどしそうなくらい熱い魂の熱量に浮かされる。

みなさんもジャズを聴いてみたらいかがだろうか?

まずはマイルス・デイヴィスの名盤「Kind of Blue」から。


Miles Davis - So What (Official Video)

黒人は音楽で世界を変える-ブルース編

20世紀最大の音楽の発見はブルースであったと言われる。今まで300年間にわたって培われてきた西洋音楽理論を否定する形でブルースは現れ、結果的に西洋と黒人の混血としてのロックミュージック、ポップミュージックが生まれた。基本的に現代の音楽西洋音楽理論をもとにしているが、ビートはブルースを原点としている。白人の音楽の中に黒人の血が一滴流れたことによってすべての音楽が生まれたのだ。

では、ブルースの革新性とは何か?

西洋音楽では強拍が1拍、3拍に存在する。つまり、「タン、ウン、タン、ウン」である。これはもちろん現代の耳をもってすると違和感があるだろう。普通は「ウン、タン、ウン、タン」である。しかし、基本的にクラシックは1拍、3拍が強拍だ。これはなぜか?西洋音楽を創り出した欧州の人々が基本的に農耕民族だったからだ。

農耕民族は一番先に鍬や犂を下ろすので必然的に「ヤー、エイ、ヤー、エイ」となり、1拍、3拍が強拍になる。

ではブルースはどうか?

20世紀初頭、現代と同じ2拍、4拍でビートをとれるのは黒人しかいなかった。そしてこのビートはどこで生まれたかというと炭鉱で生まれた。1776年にアメリカが独立するが、そのころ黒人は奴隷として連れてこられた人々だった。アフリカから無理やり連れ込まれた人もいるし、インディアンも奴隷にされた。そして、黒人たちが何をやらされるかと言えば炭鉱に行かされてひたすら採掘をするのだ。そしてこのとき、ブルースが生まれた。ブルースは労働賛歌である。彼ら黒人が調子を合わせる掛け声として歌を歌い始めた。これがブルースの発祥と言われる。そして、彼らは農耕民族と違い、つるはしという重いものを振り下ろさなければいけないので、「エイ、ヤー、エイ、ヤー」と1拍でつるはしを持ち上げ、2拍で振り下ろすという2拍4拍の強拍となった。ここで拍節が逆転するのである。また、この2拍4拍のビートは民族音楽にもよく見られ、黒人は生まれながらにして2拍4拍のビートを身につけていたという意見もある。

そして、このブルースが広まっていくのが20世紀初頭なのだ。このころから簡易的な録音装置が生まれ、黒人のパブにこっそり忍び込んだ白人の少年が録音した初期ブルースの音源がSPとして残っていたりする。

そして白人は自分たちと全く違う拍節感覚を持ったブルースに驚愕し、それを取り込もうとする。しかし、これがなかなか難しかった。そもそもビートが逆転しているので演奏できない。そんなこんなで初期は2拍4拍のビートがあまり出てこないビックバンドジャズが大衆音楽として広まったようだ。これが1930年代ごろでSPとして残っている。

本格的に白人が2拍4拍のビートに取り組むようになるのはロックンロールが登場してからだ。そして、かの有名なエルヴィス・プレスリーが初めて白人でロックンロールを鳴らした。しかし、50年代になってもビートは上達しなかったらしく、プレスリーのリズム感覚は完璧なのに、バックで演奏しているBBCラジオのバンドがへたくそでビートがよれよれなのだ。なにせ、このバンド、一度休拍を挟むともう一度「ワンツースリー」とカウントしなおさないと演奏できないのだ。今では考えられないことだが当時の白人の拍節感覚ではそんなものだった。しかし、黒人は何もせずとも頭でビートが鳴り続けているので問題ない。ジャズのドラマーでほとんど白人がいないのはこのためだ。黒人でなければそもそもドラムをたたけなかったのだ。

そして、異常事態が起こる。63年のビートルズのデビューだ。ビートルズプレスリーをテレビで見て感銘を受け、自分たちもロックンロールをやろうと奮起し、ロックの発祥の地、アメリカではなく、イギリスから伝説のロックンロールバンドが誕生することになる。しかし、実は初期のリンゴのドラムはけっこう下手で、後期になると俄然うまくなるのだが、初期のころはけっこうビートがよれている。それだけ白人がロックをやることは難しかった。しかし、ビートルズは果敢にもそれに挑み、そして世界的大成功を生み出した。

そして、ビートルズがすべての音楽の方式を変えてしまった。つまり、ブルースから生まれた2拍4拍のビートがロックンロールになり、プレスリーになり、ビートルズになって、はじめて世界に浸透したのだ。これ以降、すべての曲は2拍4拍が基本となる。

ちなみに、ビートルズの影響はあまりに大きく、以降、出てくるバンドはすべてイギリスだ。レッドツェッペリンもキングクリムゾンもセックスピストルズもクイーンもみんなイギリス。アメリカはロック発祥の地なのに泡を食わされるはめになる。ようやくUKとUSの溝が埋まり始めるのが80年代になってマイケル・ジャクソンが出てきてからだ。90年代になってやっとUKとUSは対等に聴かれるようになる。それまではUKびいきがずっと続いたのだ。

黒人はずっと虐げられてきた人々だ。しかし、彼らは暴力に訴えようとしない。音楽で革命を起こす。そして、その革命は今もなお息づいているのだ。彼らの魂は永遠に潰えない。