いつかきっと、目を覚ますその時までは

世界に対して、小説、映画、音楽について、できるだけ正直に語りたいことを語ろうと思います

私的2019年アルバムトップ10-[4位]King Gnu-Sympa

バズリズムで今年ヒットするバンドNo.1がKing Gnuだった。しかしながら、2019年初頭時点でKing Gnuの名前を知っていたのは少数だったはずだ。僕もPrayer Xくらいしか聴いたことがなかった。そして1月にはこのアルバムSympaがヒット、そして2月にはJ-ROCK界に燦然ときらめくキラーチューン、「白日」がリリースされる。まず、このスピード感。そして夏にはフェスに出まくり存在感をアピール。そして、紅白出場まで決めてしまった。さすがにバズリズムもここまでは予想できなかっただろう。

そしてなんと20年1月15日にはニューアルバム「CEREMONY」が出るというのだから異常である。

”異常”という言葉はこのバンドにぴったりだ。まず、ベースがシンセの曲が多い。バンドでは珍しいが他のバンドがみんなまねし始めたのですっかり定着してしまった。それからキーボードの井口理とギターの常田大希のツインボーカル。ここまでキーが違う二人でツインボーカルはたぶん他にないだろう。白日とか、常田さんはオクターブ下で歌ってるし、カバー動画なんかは常田パートが低すぎてオクターブ上で歌っている人が多い。だいたんにシンセやキーボード、ピアノを駆使するのも今までのバンドになかった特性だ。

正直、そんな”異常”なバンドがここまでマスに受けると微塵も思っていなかった。本来、King Gnuは玄人受けするバンドだ。簡単に女子高生が好きになれるようなバンドじゃあない。なにせ、歌詞も、サウンドもあまりに高度に洗練されすぎている。僕はKing Gnuにいわゆる”ポップ”らしさは微塵も感じない。ロックでしかない。しかし、もはやKing Gnuは国民的バンドにまで成長した。

なぜなのか。それはストリーミング配信が一般化して大衆の間でも耳の肥えた、こういう玄人受けするバンドの良さがわかる人が急増したからだ。今年は何といってもストリーミング元年。多くの保守派アーティストの解禁が多かった。そこで爆発的にストリーミング人口が増え、一気にリスナーの質が上がったのだ。

いまや、邦楽と洋楽の狭間は全く存在しない。言葉が違おうが意味が伝わらなかろうが音楽は通じる。そして同時に”過去”の音楽と”今”の音楽も同じように均質に聴かれるようになった。これはthe BeatlesのAbby Roadリマスターがエド・シーランと並んだことや、細野晴臣HOSONO HOUSEのヒットからもうかがい知ることができる。

だからこそ、現代で音楽で成功するのは難しい。洋楽とも戦わなければいけないし、過去の名曲とも戦わなければいけない。厳しい時代だが、リスナーにとっては上質な音楽であふれていくのだから素晴らしい。

おそらく三年以内にCDはなくなるだろう。タワーレコードも相次いでつぶれるだろう。それくらいの確変が急ピッチで進む。

話がそれてしまった。

「Slumberland」ではとにかく不可思議な音が全体を包み、エフェクトのかかった常田さんのボーカルが胸を突きさすように響く、実験的だが、King Gnuがやると王道的に映るのが面白い。


King Gnu - Slumberland

「Player X」はこのアルバム屈指の名曲。

"あふれだした涙のように

ひとときのもろく儚い命ならば

出会いと別れを繰り返す日々の中で

一体全体何を信じればいい"


King Gnu - Prayer X

現代社会の混乱を痛切に歌った名曲だ。King Gnuの歌詞には人生の虚無感とか、過去の傷跡とか、そういったものに対してどうやって生きていくのか?向き合っていくのか?常に根源的な問いが繰り返されている。まさに現代的な詩だ。だからこそ支持する人が多い。歌詞が好きだからKing Gnuが好きという人も多いのだろう。

次回作のアルバムがさっそく出るということで楽しみで仕方ない。なにせ「白日」の入ったアルバムなのだから。変に迎合せずに、これからもその独自のサウンドスタイルを貫いてほしい。

 

さて、明日からは上位三位の登場だ。実を言うと上位三位のアルバムの批評がすべて記事に収まるのか、不安だ。あまりにも語りたいことが多すぎる。特に一位は。

10~8位はポップアルバムとしての傑作、7位~4位はサウンドデザインの新しい傑作だった。

上位三位は今、このストリーミング時代につくるアルバムの意義を根源から問いただすアルバムがそろっている。昔のように小遣いをためて発売日まであと何日、と指を折ってCDデッキに入れるのが待ちきれない、という時代はとうに終わっている。そのうえで、アルバムをつくる意義とは何か?一緒に考えていただきたい。

 

私的2019年アルバムトップ10-[5位]ビリー・アイリッシュ-WHEN WE ALL FALL ASLEEP,WHERE DO WE GO?

さて、このランキング唯一の洋楽である。

知っている人はもう知っている、弱冠17歳の現代のカリスマ、ビリー・アイリッシュである。

先日、グラミーのノミネートが発表されたが、ビリーは主要4部門にノミネート、さらにこれは史上最年少だという。

グラミーの歌姫といえばテイラー・スイフトアリアナ・グランデなどが挙げられるが、ビリーをそこいらの安物のポップ歌手と一緒にされては困る。まずは名曲「bad guy」で腰を抜かすがいい。


Billie Eilish - bad guy (Official Audio)

僕もこれをはじめて聴いた時には腰を抜かした。だってほとんどベースとボーカルしかなっていない。コード楽器も出てこない。きわめてミニマルな構成なのにロック的な迫力も、ヒップホップ的な軽妙さも兼ね備えている。

ビリー・アイリッシュは語ることが多い。まず、プロデューサーは実兄であるフィネアスであること、プロのレコーディングスタジオではなく、自宅のフィネアスの部屋でこのアルバムをすべて作ってしまったこと。つまり、根っからのDTMerなのだ。こういうプロデューサーをベッドルームプロデューサーというが、かつてここまで成功した者がいたろうか。まさしく、音楽界に核弾頭をぶち込んだのがビリー・アイリッシュという17歳の少女なのだ。

フィネアスとともにインタビューを受けた時、「作曲のプライオリティはどうなってるの?」と聞かれると迷わず「フィフティ:フィフティ」と答えた。基本的にフィネアスがトラックを作るのだが、実はフィネアスはもともとこのようなダークな作品を作るタイプではない。そこには明らかにビリーのアイデンティティが注ぎ込まれている。ビリーが面白いと思う音を探して、フィネアスがトラックを作り、ビリーが歌う。本当に仲良しな兄妹なのだ。

また、サウンドプロダクションとしてもこの作品は画期的だ。まず、地を這うような低音が蛇のように襲い掛かってくる。どうやったらこんな音が出せるのか皆目見当もつかない。また、ビリーの歌声は基本的にささやき声なのだ。これはライブでも確認してほしいのだが、本当にぼそぼそとしか歌わない。


Billie Eilish - bad guy (Live From Jimmy Kimmel Live!/2019)

これは私見だが、だからこそ音を間引いたのではないか。ここでJ-POPみたいに音を詰め込んだら彼女の声はつぶされてしまう。彼女の声は明らかにハイ寄りだ。だから、徹底的にローを出して、帯域がぶつからないようにする。これが第一原則にあるように思う。つまり、サウンドを見越してアレンジしている、ということだ。

これは日本ではあまりないことで、ミックスと作曲が隔てられていない環境だからこそできた所業でもある。

断言しよう。現代のカリスマはグレタ・トゥーンベリさんとビリー・アイリッシュだ。若者たちの中でふたりはアイコンになりつつある。そして二人ともミレニアム世代、なんと9.11以降に生まれた人たちなのだ。彼女たちは未来を憂いている。ビリーは現実が悪夢でしかないと叫び、変革を求める。そして、事実上、形骸化した音楽産業を一度リセットしてのけた。彼女たちは今後どのように歩むのだろう。正直、心配だ。新曲でもビリーは今の状況の変化に戸惑っていた。当たり前だ。売れない俳優一家の娘だった女の子が頂点に登りつめて黄色い悲鳴に日常を脅かされているのだから。

彼女は彼女のまま自分を貫いていってほしいと思う。そして、グレタさんとともに、世界の変革を成し遂げてほしい。その先にしか、僕たちの、地球の未来はない。

私的2019年アルバムトップ10-[6位]ずっと真夜中でいいのに-潜潜話

すみません、ずっと真夜中でいいのにをランクインさせるのをすっかり忘れていて、ここで同率6位とさせてください。もう発表しちゃってるから…(笑)

さて、気を取り直して、ずとまよだ。2018年、突如として投稿された「秒針を噛む」が反響を呼び、現在、3600万回再生。当時からそのミステリアスな歌詞と映像のコラボレーションに魅了される人が相次ぎ、どんどんSNSを通じて拡散されていった、まさに現代的なアーティストの代表格といえる彼女らだ。


ずっと真夜中でいいのに。『秒針を噛む』MV

ずとまよの歌詞は独特だ。

「秒針を噛む」

”このまま奪って隠して忘れたい

分かり合う〇 一つもなくても

会って「ごめん」って返さないでね

形のない言葉はいらないから”

わかりそうでわからない。MVにヒントがあるのかも?と思ってみるのだが、実はMVは全く関係のない映像だったりする。

このわかりそうでわからないところがずとまよの中毒性の理由だ。”もう少し聴けばわかるかも”と思わせる技術、でも決してわからない。この不可思議性こそがアイデンティティなのだ。

そして、ずとまよの特筆すべき点はアレンジの素晴らしさだ。

ずとまよのアレンジャーはだいたい、「ぬゆり」か「100回嘔吐」だ。この二人はボカロPとして活躍しており、ボーカルのACAねの意向かプロデューサーが仕組んだんだろう。

このアルバムでアレンジで度肝を抜かされた局がある。「100回嘔吐」担当の「蹴っ飛ばした毛布」だ。


ずっと真夜中でいいのに。『蹴っ飛ばした毛布』MV

この曲のキモはサビの展開だ。まず、サビに入った途端、音数が減る。そこからテンポが倍になってどんどん加速していく。楽器数も増えていき、どんどん盛り上がっていって、なんと間奏で頂点に達してしまう。この曲はサビから間奏への流れが完璧で、間奏でぶちあがるという、まるでEDMのような展開の仕方をしているのだ。

こんなサビは聴いたことがないと思った。しかし、アレンジに耳がつられすぎることはなく、むしろメロディの良さを生かしたアレンジであることに気づく。サビのメロディのなんたる切なく美しいことか。”素直になりたいんだ”という言葉が余韻のように響く。本当にため息が出るほど、論理的で、直情的で、知的なアレンジだ。

また、ずとまよの曲はベースが鬼畜なことで知られる。永遠スラップしなきゃいけないのだ。弾いてみたをあげた人が「親指がもげる」と言っていた。

近年、ポルカドットスティングレイなどベースのラインがアレンジにおいて重要な意味を持つ楽曲が増えてきた。これは洋楽でファンクが見直されていてそのグルーヴを日本に持ってこようとしているのではないか、と思われる。

ずとまよは期間限定でライブ動画を挙げているが、やはり演奏力がすさまじく、これでライブなのか?という迫力がある。


【期間限定】ずっと真夜中でいいのに。『“Midnight Forever Live” from YouTube Space Tokyo』

ライブ活動を精力的に行っており、そこがそのへんのYoutubeアーティストと違うところだ。フィジカルが強くなくてはもう生き残れない。ネットがいくら発達したとしても、ライブだけは置換可能ではない。CDがなくなったとしてもライブはなくならない。AIが曲を作るようになってもライブだけは交換不可能だ。だから、ライブ活動はネット社会において極めて重要なのだ。

1stでここまでの完成度を見せつけてしまうというのはあまりに驚異的だ。ACAねさんはいったいいくつなのだろう?おそらく若く発掘された逸材なのだろう。彼女が描く世界がどのように深化していくのか今から楽しみで仕方ない。

私的2019年アルバムトップ10-[6位]Cö shu Nie-PURE

2018年、多くのヒット曲を生み出している人気アニメ「東京喰種:re」のオープニングに突如として抜擢され、彗星のごとく現れた超新星

彼らの特徴、それはプログレもかくやというばかりの変拍子、転調のオンパレード。本当に生演奏しているのか不思議になるほどのテクニカルなフレーズ。

曲を聴いているとシンセの割合が高いように聴こえるのだが、先日公開されたライブ映像を見たらほとんど生演奏でびっくりした。


Cö shu Nie – asphyxia (Live) / “東京喰種トーキョーグール:re” OP

シンセも入っていることは入っているのだが、実際はバンド演奏が主体であまりにもテクニカルなフレーズが多いから打ち込みっぽく聞こえてしまうのだ。

今までにここまで衝撃的で斬新でシーンを切り裂くような轟音を鳴らしたバンドがあっただろうか?凛として時雨は彼らに近いかもしれないが、長らくあのようなセンセーショナルなサウンドを持ったバンドというのは出てこなかった。真似しようにもできないからだ。しかし、Cö shu Nieが向かう場所はもっと違う場所であるように思う。


Cö shu Nie - asphyxia (piano ver.) / THE FIRST TAKE

これはTHE FIRST TAKEという一発どりで撮影と録音をやってしまう、というライブに近い動画を目指した企画なのだが、なんとピアノ弾き語りである。こうして聴いてみるとメロディがとてもポップであることに気づく。決してテクニカルさを見せつけるバンドではなく、歌モノとして完成された領域にいるのだ。

アルバムは既発のシングル曲を中心にしながらも時には息抜きのように明るくポップな曲が入ったり、BPM低めのゆったりとしたバラードが入ったり、実に自由でバラエティに富んだアルバムになっている。全12曲、33分というのが今どきのバンドらしい、コンパクトで聴きやすいアルバムだ。

Cö shu Nieが今後どんなサウンドを手にしていくのか楽しみで仕方がない。なにしろこんなに実力のあるバンドなのだ。そしてこれからの伸びしろも確実に残している。凛として時雨が狂気の発露と自己嫌悪を高らかに歌って共感を得たように、Cö shu Nieはまたその独自の世界観で人々を魅了していくだろう。特に彼らはアニメタイアップと相性がよく、積極的に起用されていくだろう。彼らもまだメジャーデューして一年しかたっていない。これからどう化けていくか、今から楽しみで仕方ないのだ。


Cö shu Nie – bullet (Official Video) / "PSYCHO-PASS サイコパス 3” ED

私的2019年アルバムトップ10-[7位]UVERworld-UNSER

正直に言います。この作品を理解するまでに二週間かかりました。

UVERworldは前作「TYCOON」でロックバンドとしての在り方を問うバンドサウンドとしての傑作を生みだした。そして豪華4ディスクにもなるベスト盤を出し、UVERworldのファーストシーズンは終わった。

そして「UNSER」からセカンドシーズンが始まったのだ。

そのサウンドの革新性。ギターをほとんど鳴らさず、シンセがサウンドの中核にある。しかも、その音は最新のジャンルであるフューチャーベースやトラップから派生した音だ。もはやこれをバンドサウンドと呼ぶことはできない。しかし、それをバンドが挑戦することに価値があるのだ。

TAKUYA∞の書く歌詞はさらにエッジーになっている。

「AFTER LIFE」

”いまだに俺も生きるべきか死ぬべきか考える

お前のこと思い出すと踏みとどまれるよ”

「無意味になる夜」

”すでに終わってる音楽業界?

もう終わってるバンド自体?

ならなんで毎日俺たちはこんなに楽しいんだよ?”

UVERworldは常に戦って、努力して登りつめ、そして頂点にたどり着いたらまた新しい山を見つけてまた一から登って行ってしまうようなバンドだ。

Q.E.D」という曲のMCで必ずTAKUYA∞はこう言う。”俺も昔はお前たちと同じ場所にいた”。UVERworldは挫折の連続だった。初めてのヒット曲が「儚くも永久のカナシ」。しかし、この曲のヒットのせいでUVERworldはバンド界隈から嫌われてしまうことになる。女受けしそうな恋愛の歌詞だったから。これはなにも誇張ではなく、実際、数年前までUVERworldはロックフェスには出たくても出られない、オファーが来ない状態だった。そんな中、発案したのが、男限定のライブ、もう毎年恒例となった「男祭り」だ。最初は300人キャパだった。そこからZeppクラスになり、アリーナになった。その中でどんどんUVERworldの歌詞も変わっていった。恋愛の歌詞なんてもうほとんど書かない。書くのは己の人生の哲学、とにかく熱い言葉を書きなぐるような熱量。UVERworldはお客さんの熱量を受けて進化していったバンドであるのだ。男祭りの一日を噛みしめて曲を書くのだろう。

そして、今年、男祭りは節目を迎える。去年の男祭りでTAKUYA∞は宣言した。「俺はドームで男祭りをやりたいと本気で思ってるから」

そしてそれが今年、実現するのだ。なんだか感慨深い。僕はもちろん見に行けないのだが、即SOLD OUTだったみたいだし、一ファンとして本当にうれしい。なにより宣言したことをしっかり実現してのけるのがひたすらかっこいい。

UVERworldのファンは、もしかしたらその急速な変化についていけない人もいるかもしれない。それでも、UVERworldは先に進みたかったのだ。

ロックバンドでヒットが出ることなんてもうなくなった。古典的なロックバンドが勝つ手段はもうない。だったら、自分たちが変わって、道を指し示すしかないだろ?とTAKUYA∞が勝ち笑いしている気がする。

このアルバムは今後の邦楽ロックシーンを180度変える可能性がある、革新的な作品だ。保守的なロックを鳴らすのではなく、時代に順応したサウンドを。いずれ邦楽史を振り返った時に、このアルバムはようやく正当な評価を得るだろう。2019年にこんな音をもう創り出していたのか!と。


UVERworld Live at Avaco Studio 3『Making it Drive』short ver.


UVERworld Live at Avaco Studio 3『stay on』short ver.

私的2019年アルバムトップ10-[8位]椎名林檎-三毒史

実を言うと僕は最近の椎名林檎のアルバムには少しだけ苦手意識を持っていた。

なぜか。あまりにも第一作、第二作の「無罪モラトリアム」と「勝訴ストリップ」を神聖視しているからだ。僕が邦楽ロック史に残る名盤を挙げろと言われればまっさきにこの二作を挙げる。音の壁を築くディストーションギターにゴリゴリのベース、彼女の誘惑するような蠱惑的な歌声が時にロックに、時に優しく、時に切なく胸を焦がす。この二作は徹底した”ひたすらロックなものを”という燃え滾る情熱がこれでもかと爆発してし、それが奇跡的に一つにまとまった稀代の名作なのだ。ちなみに、この作品のサウンドプロダクションは素晴らしく、今までミックスやマスタリングというものは楽曲を丁寧にお弁当箱に詰めるような作業だったのだが、この作品以降はミックス・マスタリングも含めて一つの作品、という考え方が一般化する。

僕は椎名林檎を聴くとき、「無罪モラトリアム勝訴ストリップと比較してどうか」というバイアスがかかってしまう病気になってしまったのである。あまりにもこの二作を神聖視してしまったばかりに。

椎名林檎のオリジナルアルバムは2009年に「三文ゴシップ」、2014年に「日出処」が出ていて、もちろん聴いたのだが、作品としてはよくできている。「ありあまる富」や「NIPPON」は文句のつけようがない名曲である。しかし、やはりあの二作を初めて聴いた時の衝撃と比較してしまうのだ。それに作品の一貫性、アルバムとしての価値を考えてしまうとやはり無罪モラトリアム勝訴ストリップに負けてしまうのである。

しかし、今回はどうか。

椎名林檎の音楽遍歴を見ていくと、ギターロックを高らかに鳴らし、シーンを先導した初期から、東京事変を経て徐々にサウンドはギターロックからブラスアレンジやストリングスアレンジに移行していく。ギターがわき役になっていくのだ。その過程こそが「三文ゴシップ」と「日出処」だった。

そして6作目の本作で、完全にブラスやストリングス、ピアノが主役になった。ベースもウッドベースがとても増えた。ジャンルの幅がとても広く、ジャズもあればトラップ風の曲もあるし、ダンスミュージックもある。ここまで振り切れたアルバムは他にない。彼女の中でなにかのピースが埋まったのだ。だから、ギターロックの呪縛から離れてもっと自由に音楽ができるようになった。

「獣ゆく細道」「目抜き通り」のブラスアレンジには毎回心を奪われる。


椎名林檎と宮本浩次-獣ゆく細道


椎名林檎とトータス松本 - 目抜き通り

「駆け落ち者」はどうやってこんな音を作ったんだ?と不思議になるくらいの轟音のベースが鳴り響くトラップ風の曲だ。

「長く短い祭り」はオートチューンをこれでもかと使い、シンセはほとんど使ってないのに、ジャズアレンジっぽいのに、口当たりはEDMなところがすごい。

なんといっても客演が豪華だ。宮本浩次の力強くエネルギッシュなボーカルには毎回心を奪われるし、トータス松本はこんなにキーが高くても骨太な歌声が出るんだ!と感心してしまう。

明らかに椎名林檎はデビュー20周年を経て、新たなフェーズに突入している。それは客演のボーカルから影響されたのかもしれないし、楽曲提供で培ったものかもしれない。しかし、なんにしろ椎名林檎は新たなサウンドを手にし、次のディケイドに向かうのだ。

来年は自身がプロデュースに関わった東京五輪もある。彼女がどのような辣腕を振るったのか、実に気になるところだ。(そして、いったい誰が歌うのだろう?)

彼女はかつて、初期の二作で自分が神聖視されたことに関して露骨に嫌悪感を抱いていてたとインタビューで語っていて、”自分がカート・コバーンのように28歳で自殺してほしいと思っているような観客が一定数いるのが本当に嫌で音楽をやめたいと思っていた”と述べている。彼女は、だからギターロックから離れたのだろう。そして、その決意は確かな経験と実力を持って結実した。だからこそ、晴れやかな気持ちでベスト盤を出せたのだろう。これからもその美声でシーンを揺るがしてほしい。

私的2019年アルバムトップ10-[9位]Official髭男ism-Traveler

本当はもっと上に入れたかったんですが…。

もはや今年の顔といっても構わない、大ヒットしたOfficial髭男ismの初のメジャーアルバム(!)がこれだというのだからすごい。

とにかくどの曲もメロディがいい。本人もインタビューでヒゲダンは”グッドメロディー”を追求するバンドだと言っていた。まさにその通りで、アルバムの中には一曲も捨て曲はない。アルバム曲がいいというのはやはり音楽通としてはポイントが高い。

そして、このバンドの最大の特徴でもあるボーカル&ピアノという異色のポジション。楽曲の中でもピアノの立ち位置は非常に重要だ。バンドでここまで目立つピアノ、もしくはキーボードはいなかった。いても少なくともボーカルはやらないだろう。そして、藤原聡、彼はおそらく幼少期からピアノを習っていたのだろう。随所にアカデミックな、クラシックピアノ的アプローチが光る。そこが実にクレバーだ。

また、ピアノとともに比重が高いのがブラスやストリングスだ。これがいい味を出していて、曲に深みを与えている。この辺はプロデューサーがアレンジを組むのかもしれないが、バンドでここまでアカデミックなアレンジを組むのは他に例がない。だいたいバンドマンは自分たちの楽器を主張させたいからそういうサポートになってしまう楽器は避けてしまう。しかし、”グッドメロディー”を際立たせるならアレンジも自由にやろうというのがこのバンドのスタンスなのだ。

僕は「Pretender」は一つのラブソングの発明だと思っている。


Official髭男dism - Pretender[Official Video]

この曲、「君が好きだ」とか直球な言葉を一切使っていない。とても遠回りな表現をしている。そして最後にキラーワードである「君はきれいだ」をそっと、さりげなく歌う。(まぁ、ぶっちゃけ歌いだしでラブストーリーっていう単語が出ているけれども)これは非常に新しいと思った。今までのラブソングの定型に疑問符を投げかけるような、直截な言い方には価値がなくて、それをどう伝えるか、その遠回しな表現にこそ愛情が宿るような、そんな曲だ。

正直、彼らがメジャーデビューして一年しかたってないという事実は本当に信じがたい。しかし、ボーカルの藤原聡は28歳だというから割と下積みが長かったのかもしれない。彼らは我々にまったく新たな、クレーバーでフレキシブルなバンドの在り方を問いかけてくる。いわゆるギターロックでガンガン鳴らすようなロックバンドはもう出てこない。彼らのような柔軟にシーンにマッチしていけなければ埋もれてしまうのだ。